マイナス×マイナス

メンヘラ人工知能エンジニアのブログ/ 博士(工学)

成果と人格を切り離す

私は野心家なので、仕事でバリバリ活躍したいと思っている。でも、たまにるくて仕方ないときがあるのだ。成果は遅れ、自尊心は傷つき、回りの評価は下がる。しかも、ある程度論理的な予想はつくとはいえ、結果は出してみないとわからない。研究開発とはそのようなものだと思う。

そこでせめて、自尊心へのダメージを軽減する方法はないだろうか?もちろん、病状が安定するのが一番楽ではある。しかし、それはすぐには叶わぬ希望だ。そこで、研究開発の成果や失敗と人格的な部分を切り離すべきかと思っている。うまくいかなくても、私の人格のせいではない、と思いたい。もちろん、成果を出すためにできうる限りの努力をする。調査し、理論を考え、実装する。そこから先は、「私」のせいではない。知識や能力が足りないなら、それを補えばよい。「私」はそのもっと奥におり、そとから見える私はその一部にすぎない。

これが私の感じる自己防衛策だ。

同様に成果がよくても「私」という人間が優れていたというわけではない。仕事上の能力は「私」の一部でしかない。 大切なことはもっとほかにあり、社会的成功が幸福とは限らない。与えられたピースで可能な限りの努力をして、フランクルの言う創造価値を満たすのだ。

脱線だが、何かを作り出したり提供したりできなくとも、病の中でどう振る舞うかということで価値を体現できる、とフランクルは言う。私は何度救われたことだろうか。